管理と題製作は「掌」 http://www.2shin.net/life/odai.html
【狼症候群】
彼女ときたら、最低。
少なくとも、僕はそう思っている。
――僕の仕事は勉強すること。
つまり、僕は大学生である。
勤勉なので、大体朝の六時には起き出す。講義にはまだ時間が有るけれど、余裕を持って準備したいから。弓道の朝錬がある日は、もっと早くなる。
アラームなんか無くても起きられるけど、一応携帯が微かに鳴り出したので、僕は毛布から手を出して、目を瞑ったまま携帯を掴んで、音を切った。
否――切ろうとした。
押し続けても、泣き止まない。
そのせいではっきり目が覚め、僕は携帯をまじまじと眺める。
娼婦の口紅みたいに赤くて、ラメが散りばめられている手の中の携帯は、僕のじゃなかった。
「んもう、ウルサイよ、優クン」
鳴り続ける携帯のアラーム音に、隣の布団で寝ていた人物が文句を言った。
「あ、ごめん、ヒロミさん起きちゃった?」
返事が無いので、また寝たらしい。
僕はホワイトゴールド色の自分の携帯を反対の枕元に見つけ、すぐに音を消した。
その後、僕が赤い携帯を見て、受信箱を開いたのは、ただの悪戯心。
昨日付けで何人かから、メールが届いており、未読のものは無かった。
最新メールの件名は『ヒロミへv』。受信は午前三時。
『楽しかったv また遊ぼう! それよりお前、あんなに飲んで大丈夫だったか?』
昨日遊んだのは、吉敷さんか。
彼はモデル業とホストをやっている、いわゆるイケメンで、この隣に寝ているヒロミさんの彼氏の一人だと、僕は知っている。会ったこともあるのだ。
ヒロミさんはバーテンなので飲むのは仕方ないけど、そんなに飲んだのだろうか? イイトシして。
僕は毛布をそっと持ち上げ、丸まって寝ているヒロミさんを確認した。
――うん、化粧は落としてるな、よしよし。
中には、僕のTシャツとブリーフを着て、眉を潜めて眠る女の姿がある。
柔らかい癖毛はセミロングで、どちらかというと、はっきりした顔立ち。丸出しの腿には、うっすら筋肉が浮いている。
丁度朝立ちしていたので浮ついた気持ちになってきた。
でも、折角の機会なのだから。
知らない名前が無いか、受信履歴からチェックしよう。
変な名前があったら、紹介するよう言わなくちゃ。
と、僕の左手にあった、つまり僕の携帯が震え、メールの着信を教えてきた。
『おはよぉ、優。まだ寝てたぁ?』
赤い携帯を元あった場所に置いて、返信する。
『おはよ。起きてたよ。今から朝ご飯を食べて、学校に行くとこ』
すかさず、またメールが来た。
『さっすが、マジメ〜。里奈、バイトも行くのヤダよぉ〜、ふたりでサボってどっか出かけない!?』
『ダメだよ、一応仕事なんだから行かないと。それに僕も今日はゼミがあるから』
『わかったぁ、優がそういうならv 会うのは明後日だょネ、ドコ行く?』
『どこでも。里奈の行きたいところ、決めておいてよ。僕も楽しみにしてるからね』
一通り、返信を済ませてから携帯をトレーナーズボンのポケットに入れ、自分の布団を纏めて畳み、上に枕を載せる。僕は自分で言うのもなんだけど、几帳面なほうだ。
二つの布団を敷いたら一杯にある六畳の和室から、ダイニングキッチンに行くと、いつも通りお握りがあった。
僕はそれを頬張って広めのユニットバスへ。
まず床や、浴槽の中をチェックして、ゴミがあったら捨ててから入るのは、彼女と暮らし始めてからの癖。
――女に有るまじき程、毛とかに無頓着なんだから、もう。
本当だったらヒロミさんにやらせたいんだけど……彼女のほうが年上だし、何よりご飯を食べさせてもらっている身じゃ、仕方ないか。
勿論、家賃は半分出している。
両親は一人暮らしだと思っているけれど。
でも、反対を押し切って独り暮らしを始めて、食費は自分で出すからと言って説き伏せた手前、ヒロミさんが出してくれると、凄く楽だったりする。お陰でバイト三昧にはならず、勉強に専念できているから。
僕が髪を洗いながら熱いシャワーを浴びていると、唐突にドアがノックされた。
「入ってまーす」
「優クーン、おしっこしてもいい〜? 漏れちゃうよ〜」
「仕方ないなー」
本当に嫌そうに言ったのにも拘らず、ヒロミさんは遠慮も無く入って来た。
ちょろちょろ音を立てて尿をする音が、シャワーカーテン越しにダイレクトに聞こえてくる。正直、すっごく不快だ。耳を塞いで遣り過ごそうとしていたら、カーテンが引かれた。寝起きが良いヒロミさんはもうスッキリ目が覚めていた。日本人にしては薄い色彩の目が、悪戯っぽくキラキラしている。
僕の目の前で、僕の下着とシャツを脱ぎ捨て、浴槽を跨いで来た。
「私も入る〜」
「狭いよ」
僕の言葉を全く意に介さず、彼女は後ろから入ってきた。
湯気で熱せられた空間に、女特有の柔らかい甘い匂いが立ち上る。僕はそれがあんまり好きではないんだけど、彼氏だったら我慢しなくちゃ。後ろから石鹸を取ろうとした、ヒロミさんの濡れた質感の肌が触れ合い、僕の中の熱が一気に上がった。
すぐにその気になったと思われるのは悔しいので、まず文句を言ってやる。
「あーもう、ヒロミさん水が撥ねるよ」
「いいの、掃除するの優君だもん」
確かにこういう細かいところを気にしてしまう僕がするんだけど、恨めしい気持ちで――半分は全裸が見たい欲望で僕はヒロミさんを振り返った。ヒロミさんは狭いバスタブの壁に背中を凭れさせかけて座り、脚を腿に置く形で石鹸を擦り付けている。素足の赤いペディキュアが目を引いたけど、男である僕が気になるのは腿より少し上の場所・・・・。
でも真っ向から女性の割れ目を見る気になれなくて、必然的に僕の視線は足先を行ったり来たりする。
僕が見ているのに気付き、ヒロミさんは片足を伸ばして僕の目の前に突き出した。
「舐めてもいいよ」
はじめ、何を言われたのか分からないほど、僕は吃驚する。
僕に足先を舐めろって言うのか?
召使じゃ有るまいし。
僕はヒロミさんの足を下ろして、むっとしたのを隠さずに返した。
「僕は女性にそういうことを言われるの、好きじゃないな」
ヒロミさんが苦笑する。
「やっぱ、優君とは合わないなー、だって私もキミもサドなんだもん」
「別に僕はサドじゃないよ、そんな変態じゃない。別にヒロミさんが変態だからって差別はしないけどね」
「こんなの、変態の内に入らないよ。実際、私、嗜好は至ってノーマル側なんだよね、残念なことに」
複数人を愛して付き合う以外は、至ってノーマル、か。
僕は同族と一緒にいる気安さに、壁を背にして腰掛、足を伸ばした。
「じゃ、僕の足を舐めてよ」
ヒロミさんは僕の足を受け取り、踵を持って見詰めた一瞬後、僕が何をする気か認識する前に。
足の甲に顔を近づけ、舌を出して。
弁慶の泣き所の一番下から膝ギリギリまで舐め上げた。
「・・・・ッ」
(舐められた、足を、ベロッて!)
僕は官能を感じるよりも、本当に驚きと衝撃で、ユニットバスのバスタブで滑り落ちないでいるのが精一杯なくらい、動けなくなっていた。
そんな僕の様子を見て、映画の中の悪役のようにニヤリと上目遣いに見て、
「まだまだ、お子ちゃまだな、優クンも」
と、ヒロミさんが笑った。
「行夫なんてね、ちょー喜んでたよ」
彼氏の一人である行夫さんという男は、どっちかというと僕の気に入らないタイプだ。
僕は明らかに不機嫌になって、脚を取り戻すとシャワーで流した。
「でも、優クンだって喜んでるじゃない?」
「まあ、・・・・かもね」
気の無い返事とは裏腹に、確かに僕のアレは、持ち主の意に反して舐められた時に勃起して、決して萎えようとしない。
そもそも妙齢の女性の全裸を前にした十代後半の男子としては当然の反応の筈。
けれども僕は頭で勝負するほうだから、こういうのは凄く不本意だけど・・・・僕はもう世に言うオトコ特有のもう一つの『頭』に従って、何も考えず行動することにした。
所謂、欲望に従って。
――僕はヒロミさんを見る。
ヒロミさんもすぐ僕の目の色に気付いて、くすくす笑っていたのを改め、手を伸ばして僕の胸に触れた。筋肉を確かめるように。僕はその手を取って少し乱暴に引き寄せ、肌をピッタリ触れ合わせた。撫で回した背中の肌は肌理細やかで、引き締まって、程よい硬さと柔らかさがあった。
腿の間に自分の足を入れて開かせ、熱い肉と茂みの感触を楽しむ。上半身を抱き締めながら、利き手の指を潜り込ませて指先で摩擦した。
彼女が乳房の先端を僕の胸に擦り付けてきて、僕の熱は一気に高まった。
もう我慢ならないくらいに。
膝裏に手をやって持ち上げようとした。
でも濡れて、しかも狭いから、柔らかい脂肪が引き連れて、ヒロミさんが喘いだ。
「待って、このままじゃ、ダメ・・・・」
「何で、いいでしょ」
「ダメだって、舐めてあげるから」
その言葉に、惜しかったけれど、僕は一旦体を離す。
ヒロミさんはシャワーカーテンの隙間から手を伸ばして、トイレの上にある籠からコンドームを出し、口で封を切った。その次には跪いて、僕のペニスを少し舐めてから、口と指を使ってあっさりゴムを装着する。
ピルを飲んでるのに、この抜け目の無さが何とも小憎らしい・・・・だけど、この憎らしさが僕を燃やし尽くすのか。
後ろを向いて、尻を差し出してくる美しい獣のようなヒロミさんに誘われるまま、僕は伸し掛かる。
細い首に、肩の丸いライン。背中の窪みと、天使の羽の痕の様な肩甲骨。そして腰の括れを自分のものにするために。
「ん・・・・待って」
強く突き上げるのを堪えさせておいて、ヒロミさんは背中に置いた僕の手を掴み、自分の胸に導いた。
触れってコトか。
焦らすように下乳の丸みを撫でてから、立ち上がっている乳首を指先で捏ねてやった。
「ヒロミさん、こうするの、気持ちいい?」
「うん・・・・」
僕も、すごく、いい。
こういう時のヒロミさんは素直で、可愛いから。
ゆっくり突き上げる度、小さな泣き声を漏らし、壁に手を突いて揺さぶられるままだ。
僕はすぐに我慢できなくなって、腰を手で力づくで掴み、咽喉を逸らして呻く。
狭い空間に息遣いだけが満ち、僕たちは大いに唸り続ける。
―――――――――――
一時間後、僕は髪をドライヤーで乾かして、服をきっちり着て、ユニットバスの前の全身鏡に自分を映していた。
出かける準備万端になった僕の後ろで、ヒロミさんがまだ下着も付けないで頭を拭いているのが見える。
しといて何だけど、僕は良くこの人に欲望を感じ続けられるなあ・・・・。
諦めきった溜息を吐きつつ、注意してあげた。
「あのさ、一応男の前だから」
「うるさいな、未成年は」
しょうがないな、と呟いて、乾燥機の中からヒロミさんが下着を取り出して穿いている。
「うるさいついでに言うけど、それ僕のパンツだから」
「知ってる」
「・・・・・・」
こんなに慎ましさや、女らしさが欠如しているのに、僕が燃えるような気持ちになるのは多分、他の異性に対して――ヒロミさんの場合はバイセクシャルなので時には女性に対してすら、魅力を感じられていて、気を許すと誰かに盗られるかもというドキドキ感があるのも一因だろう。
博愛主義者は、やっぱり捕まえ難いから。
他にも、ライフスタイルの師匠だとか、色々あるんだけど。
でもこんなにもヒロミさんが好かれてしまう理由は、やっぱり、楽しくてあったかいから。
人間は煩わされたくないはずなのにいつも悩みはあるもので、問題は常に空想ではなく現実で、結局自分で対処するしかなかったりする。
だからこそ、一緒にどん底まで悩んでくれる人よりも、話を聞いたあとは「もうしょうがないじゃない」と言って、気を晴らしてくれる楽しい人こそが救いになるからじゃないか、そんな風に僕は分析しているのだけど・・・・褒め過ぎかも知れないな。
でも、彼女の背中はぴんと張っていて、綺麗だ。
冷蔵庫のほうに歩いていく背中の窪みを見ている僕を、ヒロミさんが振り返った。
「あ、そうだ。うるさいって言えば、また携帯鳴ってたよ、メールじゃなくて電話ー」
「先に言ってよ」
慌てて自分の携帯を手にする。ちかちかと点滅が着信を教えていた。
掛け直そうとして、ふと、あることに思い当たり、僕はヒロミさんを見た。
「もしかして、ヒロミさん、嫉妬してんの?」
だから、シャワー中入ってきたの?
だったら、すっごく可愛いところがあるなって思えるのに、ヒロミさんはそうじゃない。
彼女は、笑って返してきた。
「それはキミでしょ」
ヒロミさんの目が、キミこそさっき私の携帯弄ってたでしょ、と言っている。
気付かれてたのか。
僕は恥ずかしくなったのを隠し、素知らぬふりで自分の携帯を開く。
里奈からもメールが来ていたが、着信は違う女からだった。
僕は折り返し発信するが、きっかりツーコール待たされた。里奈だったらワンコールもしないうち飛び付いて出るのだが、このコは違う。
『はい』
落ち着いた、少しお高くとまった感じの綺麗な声が携帯に出た。
「おはよ。電話くれたんだね、美知子ちゃん」
『ええ、ちょっとゼミの内容、確認したくて。朝なのにごめんなさい。今、大丈夫?』
「うん、平気。ただ出る準備しながらだから、ちょっとバタバタしてるけど」
『珍しいのね。いつも余裕を持って行動する上條君なのに』
「ちょっと、ね。こういう時もあるよ」
残ったお握りを手に持ち、ジャケットを羽織りながらキッチンを出る。
こういう時のために備えて――何度も慌てさせられたから――玄関に準備をしておいたバッグを肩に掛け、ふと僕は部屋を振り返る。
視線を感じたかのように、キッチンで牛乳をパックのまま飲んでいるヒロミさんが、僕のブリーフを穿いただけの姿でこっちを見た。
――コップに移して飲んでって、あれ程言ったのに、言うこと聞けない女だな。
ヒロミさんは僕を見てパックから口を離し、唇だけで「いってらっしゃい」と言う。
腹立たしい思いが湧いて、僕は靴を穿いたままヒロミさんのところまで戻った。
これは予想していなかったらしく、唖然としてヒロミさんが僕を見た。
携帯で、本命の彼女である美知子ちゃんが僕に呼びかけている。
『もしもし、上條君? 大変そうなら切るわ、大学で会えるんだし・・・・』
僕はヒロミさんの前まで行き、唇にキスをした。
それから、携帯に答える。
「ううん、家を出るところだから」
僕には共犯者と、恋人が二人。
全て知っているヒロミさんにも、二人の彼氏がいる。僕も合わせれば三人か。ヒロミさんの凄い所は、全員がお互いの存在を知っていながら、楽しく付き合っているところだろうね。
それに比べると僕はまだ上手く出来なくて、二人の可愛い彼女、フリーターの里奈と、同級生の美知子ちゃんは自分たちの立場を知らない。
僕は誰かを二番手にするつもりなんてないから、ポリガミーは営業職並みに精神力とエネルギーが必要だ。
相手が望むことをしてあげたいっていつも思ってるから、疑われもせずに続けられる付き合いだけど、金も掛かるし、こまめに動けないと話にならないし、自分の精神面や体力面、二十四時間しかない時間の自己管理は絶対に必要。
とはいえ、僕はこの生活に心底満足している。
――でも昔から、こうだったわけじゃない。
いわゆるふしだらで尻軽な・・・・今時はフリーセックス派って呼ぶんだとヒロミさんは言うけれど、そういうライフスタイルを持ったこの人と出会うまでは、他の女の子に目移りしながらも、一番相応しい女の子と付き合って退屈な生活をしている、ちょっとモテるだけの普通の高校生だった。
だから。
ヒロミさんときたら、最低。
そう思うのは、僕だけの権利なのだ。