BH 3






 この女の最後の、強がりだ。良く分かっている。
 
 赤く充血し、溢れそうな涙の中で見開かれた青い瞳が真実を教えている。
 
(だが……)

 挑発に、乗ってしまいたい。

 従えたはずの敵に唾を吐きかけられた怒りが、捌け口を求めて肉体の中を駆け巡っている。

 犯すだけでは足りない。抱き殺したい。

 高慢な唇に噛み付き、屈辱を味合わせたい。絶対的な、敗北を。

 打って変わって初心な反応は加虐心を殺ぐが、同時に掻き立てる。

 バットマンの胸筋が大きく上下して、欲望が口から出そうだった。

 快感、警戒と防御本能で濡れた二重の間へ、指を、近づける。

「……ああ、やっ……」

 指を少し入れたところ、きつく輪締めしてきた。一本なら奥まで入るだろう。グローブ越しでも、熱さが感じ取れた。

 突き入れれば痛みを感じると予想がつくほど、中は狭い。

 バットマンの仮面の下で鼻息が乱れ、ごく、と喉が鳴った。

 男の気配を感じたのか、ハーリーンが今度こそ、泣いた。

「やだぁっ」

「……神経ガスは、どこだ」

 低く掠れた声は、変声機越しでも、ハーリーンを恐れさせた。

 犯される。

 お互いに、ガスのことなどもはや言い訳に過ぎないと気付いている。

 バットマンが次に身じろぎした瞬間が、ハーリーンの限界だった。

「うーっ、嫌ぁ、ジョーカー!」

 バットマンの動きが止まった。

「うう、えぐ……ジョーカー、助けて!」

 ハーリーンが誇りをかなぐり捨てて叫ぶ。目の前が涙で見えないほど、本当に泣いていた。

 嗚咽が喉からほとばしり、ベッドに涎と鼻水と涙が一緒になったものが、ぽたぽたと滴った。

 と、いきなり、身体が軽くなった。次に大きな手が、ハーリーンを簡単にくるりと仰向けた。

 後ろ手に縛られた手が下になって少し痛かったが、そんなことはどうでもいい。

 漏れ出る嗚咽をこらえて、しゃくりを上げながら、ハーリーンが目をしばたいた。

 すぐ近くに、青い目と黒い面があって、覗き込んでいる。

 ハーリーンに分かったのはそれだけだった。また目を閉じて、嗚咽を漏らすと、黒い手が顔を撫でてくる。

 パニックに陥っていたので、その手にハーリーンが安らぎを感じるほどだった。

「――帰ってやる、今日は」

 低く響く男の声で、目を開ける。

 もうベッドの上にバットマンは居らず、窓際に立っていた。

 憎らしいほど立派な、今のハーリーンにとっては恐怖の対象である凶暴なほど大柄で精悍な男の身体を、月光を照らしている。
 
「職を変えろ」

 涙で歪む部屋の中から、バットマンは窓の外へと消えた。




   ――――――――――




 また、来るに違いない。バットマンはそう言っていたのだから。

(また、辱められるのかな……死んだ方がまし!)

 ハーリーンは、頭で計算しようとした。

 もしやられたら警察に駆け込んで、バットマンの評判を地に落とせる。だから、ラッキー。

 怪人はこんなことで落ち込んじゃダメ。どんなことでも楽しんでやらなくちゃ。

 でも、もしかしたらバットマンの仮装した性犯罪者と思われるだけかも……。

 大きな洗面台の鏡で、ハーリーンの双眸を涙が濡らす。

 ハーレイ・クインのメイクをしていない自分は、ひどく無防備に見えた。

 仮装しようとしまいと、中身は変わらないはずなのに。

 犯されれば、まだいいのかも知れない。ジョーカーだってきっと、哀れんでくれる。

 でも、あいつはそれを見越してか、身体に触れ、愛撫に等しい拷問を加えるだけだった。

 あんなに濡れていたら、恥ずかしくて駆け込めないと踏んでいるのか?

 だから、何度も舐めたり、身体中触っているのか?

 辱められるのが、犯されるのがどれだけ嫌か……しかも、バットマンは弄んでいるだけなのに……!

 このまま、好きにされるなんて、プライドが許せない。

 もう、ジョーカーの誘惑に籠絡されたときから、プライドなんて、永遠に粉々だけど、ジョーカーだけならまだしも。

 まさか敵に陵辱を受けるなんて、思わなかった。

 味方なら、まだ分かる。なぜなら、ハーリーンは悪役だからだ。敵は正義の味方のはずなのに。




   ――――――――――




 バットマンにとって、ハーレイ・クイン――メイクをしていなければハーリーン・クインゼルの容姿は、扇情的に映っていた。

(もう、やめるべきだ。では、神経ガスはどうする?)

 神経ガスのことなど、もはやただの建前に過ぎんはずだ。

 腹に疼く――ブルースを自己嫌悪に落ち込ませると同時に、押さえ込む――劣情を満たすために訪れた二度目。

 ハーリーンは窓際のカーテンのそばに立っていた。

 バットマンの好みに合致した、白い絹のバスローブ姿で。

「今夜も?」

 ハーリーンの声は静かで、覚悟のようなものを感じさせた。そして自分から、バスローブの帯をするりと抜いた。

 昨日まであんなに嫌がっていたのに。今でも警戒している。決して受け入れているという感じじゃない、だが。

「……俺に、抱かれる気か」

 バットマンの声が掠れているのは、いつもそうだからだけではない。

 期待。焦燥。

 あっという間に動いて、ハーリーンの手を掴む。

「どういう心境の変化だ」

「どう思う?」

 ハーリーンの声は感情を押し殺したものだった。が、バットマンの方も、誘惑には逆らえそうもなかった。

 手を、ハーリーンのふっくらした頬に当てようとしたが、彼女は身を引き、顎を仰のかせた。

「ねえ、始める前に、……キスして」

 バットマンはこれまで、口付けは出来なかった。

 唇を噛み千切られるのが分かっていたからだ。だが、今は……赤く色づいた唇が目の前にある。

 どれだけ焦がれていたか。唇を合わせたキスだけで、何も考えられなくなりそうな興奮で気付く。

 乱暴に舌から差し入れ、口を押し付ける。ハーリーンの舌も、舐め返してきた。

 ――もっと、もっとだ。

 そう思った瞬間、ハーリーンの口の中で何かが弾けた。炭酸の飴が弾けたような微弱な衝撃。

 顔を?ぎ放したバッドマンの目の前で、ハーリーンが息を引き攣らせている。

「……!」

 神経毒。

 バットマンには効いていないことを悟ったハーリーンが、小声で罵った。

「ダムド……」

 それきり、ハーリーンは意識を失い、床にくず折れそうになるのを、バットマンが抱き止め、胸に抱きかかえた。

「ハーレイ!」

 毒。何の毒だ。

 バットマンはもう一度キスし、舌で唾液を味わって、毒を特定する。

 まずい、かなり強力な毒だ。

 もうすでに、ハーリーンの心臓は止まっていた。

 バットマン自身も、心臓に痛みを感じた。心臓に直接作用する毒か。

 バットマンは、持っていた解毒剤入りの注射を、ハーリーンの心臓近くに刺した。

 ハーリーン、死ぬ気だったのか。抱かれるふりで誘き寄せて……敵わないから、これ以上辱められる前に相撃ちで、と考えていたのか。

(俺が、追い詰めたのだ)

 バットマン、貴様、いったい、何をしている……!?






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