ファントムクォーツ 上
「フーデッド・ジャスティス、あの」
シルクスペクターが声を掛けてきた理由は分かっていた。
二週間前、彼女シルクスペクターはコメディアンに強姦されかかった。
コメディアンは若気の至りとはいえ、下劣な本性を持ち合わせている。
フーデッド・ジャスティスは、自分でも嫌になるくらいコメディアンを殴り倒したわけだが、その時、シルクスペクターは言葉を発しなかった。
ショックを隠そうとしていたのだろう。それからも彼女は気丈に振舞ったが、それは何もなかった、と装うことによってだった。
なかったことにした行為の一部始終の中で、フーデッドが助けたことに対しても、何もなかったこと、となったようだった。
フーデッド自身、特に気にしてはいなかったが、シルクに呼び止められた時、振り返って彼女の顔を見て、すぐに悟ったのだ。
自警行為の帰り道、彼女を送っていったドアの前でだった。
「あのね、この前のこと、ありがとう……」
もちろん、シルクはミニのスペクター・スーツを身に着け、フーデッドもまた黒いマスクを被り、首に縄を掛けたマント姿だった。
「礼などいう必要はない、当然のことをしたまでだ。誰でもやっていただろう」
「いいえ、あなたがいなかったら、私、犯されてた」
確かに、それは事実だ。
シルクが物言いたげに、フーデッドを見て、少し笑った。
「コーヒーでも飲んでいかない?」
まだシルクの顔には、コメディアンが殴った後が残っていた。
こめかみが切れて血が滲んだ痕が、痣になって、やっと消えかかってきたところだ。
フーデッドは無意識にシルクの痣へと手を伸ばし、その手に吸い寄せられるようにシルクが近づいた。
彼の手は望みどおり、シルクの痣に触ったが、
「イタッ、そんな風に触ったら痛いわ」
と言われ、手を引くことになった。
「他のところなら、触ってもいいのよ?」
シルクが微笑み、肩をすくめた。
傷の痕だから、触りたかったのだが――そんなことを、言えようはずもない。
ある意味で、コメディアンはフーデッドの心を貫いたが、わざわざ明らかにする必要はないだろう。
「いや、もう家に入ったほうがいい。私も、帰る」
フーデッドが周囲を気にする仕草をすると、シルクが慌てた。
「どうして? あなたに恋人がいるのは分かってる、私はお礼をしたいだけよ。だから、その、ねっ……」
フーデッドは鈍くはなかった。
「顔も知らない男と寝る気か? お前はスターなのに?」
「顔は知らなくても、私を守ってくれたのは、あなただけよ、フーデッド・ジャスティス」
シルクがもっと近づき、フーデッドの両手を取った。
彼女の手は小さい。
シルクの瞳は大衆を虜にした輝きを放ち、その美しさが目の周りの痣とあいまって、酷く魅力的だった、フーデッドにとっては。
シルクはそのまま手を取って、ドアを背中で押し開けて、家へと導きいれた。
玄関で向き合い、シルクは真顔になった。
そこまで来て、フーデッドは顔をしかめた。黒いフードの中でのことだから、シルクには分からなかっただろう。
「私を救ってくれたあなただから、あの事件の後、初めて、寝たいの」
玄関で、至近距離で真向かう。
「駄目だ、できない」
シルクもフーデッドの体の変化に気付いた……いや、変化していないことが、問題だと気付いたのだ。
「……いいの、よくあることよ、すぐ元気になるわ」
シルクはそのことに怯えず、聖母のように微笑んで、もっと身体を寄せてきた。
肉感的な姿態が服越しに押し付けられ、シルクの手がフーデッドの脚の間をこする。
シルクは、小さい。
この身体には有り得ないほどの怪力を持つが、実際大柄なフーデットと並ぶと、頭は肩を越えるか越えないかくらい。
今も、手を少し下ろせばそこに、フーデッドの股間に触れるのだ。
フーデッドのベルトを外し、ジッパーを下げて手を入れた。
「よせ」
今度はひざまずこうとするシルクに、フーデッドはマスクの下で顔をしかめ、無理にやめさせた。
顎を掴んで引き上げ、顔をあげさせる。
こんなに小柄ではひざまずいたら、フーデッドが膝を屈伸するか、顔を上げねばならないだろうに。
もしシルクが同性なら、それも燃えただろう。
「君のせいじゃない」
「うそつき……私じゃ嫌ってことね、そうでしょ!?」
「私は、……サリー、……駄目なんだ、女は。君だけじゃない」
シルクの涙はすぐさま止まり、きょとんとしてフーデッドを見返してきた。
「それって、あなた、ホモってこと?」
その言葉には悪意も敵意も、ましてや軽蔑などなかった。
が、反射的にフーデッドは怒鳴った。
「黙れ!」
怒鳴られて、シルクは身をすくめたが、怖がりはしなかった。
フーデッドをまじまじと見返して、悪戯っ子のように目をまたたく。
「ねえ、じゃ、恋人って、男なの?」
シルクがゲイだという告白を全く深刻にとっていないことは、フーデッドにも伝わり、彼は少し呆れた。
黙ったままのフーデッドをどう解釈したものか、
「分かったわ……ちょっと待っててね、動かないでよ、分かった!?」
言い残して、大袈裟にシルクが手を振り回し、玄関から寝室へと飛び込んで行き、消えた。
(あの女は、何をしに?)
賢いところもあるが、やはり女。何を考えているのか理解不能だ。
十数分待って、馬鹿馬鹿しくなったフーデッドが身を翻し、ドアを開けて出て行こうとしたとき。
「待ってろって言ったじゃないか」
思いのほか、低い声がフーデッドを引き止めた。
驚いて振り返る。
目に入ったのは――黒いズボンに、白いシャツ。細いネクタイに、ローファー。
優美な顔から化粧を落とし、纏め髪はそのままにしたシルクの姿は、女優らしく胴に入った男装だった。
「どう?」
得意げに眉を上げる表情は、シルク自身中々の出来映えだと思っているのだろう。
確かにそうだった。
どうやら、フーデッドの”女が駄目だ”という拒絶はむしろ、シルクの闘争心を刺激しただけだったらしい。
外見の優美さは消せないものの、足取りだけ見れば確かに男で、シルクはまたフーデットの前まで戻ってきた。
しばし、美しい少年に見蕩れ、フーデットは口を開いた。
「シルクスベクター、シルク、まだ言っていないことがある」
シルクはコメディアンに犯されそうになったとき、ビリヤード台にうつ伏せだった。
フーデッドが止めに入って、ようやっと、身を起こそうとよじっていた。
「――あのときのお前は、立派だった」
殴られて傷つき、プライドをズタズタにされ、もがいて、それでも頭を上げようとしていた。
思い出す度、フーデッドの醒めていた身体が熱を持ち始めるほどに……いやらしかった。
女でこんなに燃えることがあろうとは、思っても見なかった。
シルク、俺は。
女のお前を、犯したくはない。だが、縛り、鞭打ち、悲鳴を上げさせたい。
それが、俺の望み。
「ある意味で俺は、コメディアンよりも……」
異常。そう言おうとして、シルクの人指し指がフーデッドのフードの上から口に押し当てられた。
「プライベートでどんなプレイを愉しもうが、そんなこと、どうだっていいのよ。
悪党を殴って気持ちよくて何が悪いの?
悪党を殴って後味が悪い人間が、正義の味方なんてするわけない。
コメディアンはそこを間違ってたわ。
あのバカ、自分はレイプ犯のくせに、あなたを批判するなんて、ホント、最低」
フーデッド自身も現金だと思ったが、気持ちが軽くなるのを感じる。
「……言葉が、女に戻ってる。萎えてしまうだろ」
フーデットは言って、さっと屈む。
腕をシルクの背と膝裏に差し入れ、抱き上げた。
寝室の位置は分かっていた。
フーデットの肩に馴れた仕草で手を回し、鼻を摺り寄せたシルクが囁く。
「後ろからじゃなくて、お願い、それだけ……」
うつ伏せは、コメディアンを思い出すか。
かわいそうに。
コメディアンの真似はしたくないので、フーデッドはベッドに仰向けにシルクを降ろした。
「ね……私を傷つけないといって」
「お前は仲間で、ましてや女。……傷つけない」
シャツ越しとはいえ、胸に触ったら本末転倒だ。
フーデットはシルクの背を撫で回し、細いが戦闘的についた筋肉を指先で辿った。
引き締まった腰は細過ぎたが、顔を押し付けた下腹には贅肉の欠片もない。
股間に手をやり、フーデットは強めにこすってやった。シルクは仰け反り、腿が引き攣る。
反応は、ほとんど男と同じではないか。
フーデットの頭をマスク越しにシルクが撫で、腿が大きく開かれる。
シルクは自分でズボンのジッパーを下ろした。フーデットは下着ごと、引き降ろした。
男の視線はシャツで隠れた女陰ではなく、その下に突き刺さる。
フーデッドはマスクを顔の下半分までたくし上げ、躊躇いもせずに、持ち上げたシルクの尻の狭間に顔を寄せた。
「だめ、そんなとこ……っ」
舌を、膣の下にある後腔に這わせ、吸い上げる。
フーデッドの舌に味わったことのない、透明な蜜の生臭い臭いがした。
男の精液の生臭さには慣れていたが、これは初めてだ。
「あ、あっ、いや、そんなところ汚い……!」
「お前は綺麗にしてる」
フーデットは舌で己の指を舐め、唾液を指に取った。手馴れた扱いで、その指を尻のほうの穴に挿入すると、シルクの身が固くなる。
痛みは少ないはずだ。
濡らしているし、何よりフーデッドは慣れている。痛くない角度で入れてやっているのだから。
指を引き抜いて、フーデッドは己のズボンを下げた。
勃起しかかった男根を引き出そうとして、シルクの慌てたような声に止まった。
「待ってよ、嫌……」
彼女はどうやら了承もなしに貫かれると思ったらしい。
まさか。男同士でもそれはルール違反だ。フーデットは扱こうとしただけだ、己の手で。
「分かっている。こっちだろ?」
フーデッドはついでのように自分を誤魔化しながら、前の穴に指を当てた。
つぷ、と音がして、尻よりもずっと容易くフーデッドの指を飲み込んでいく。待ち望んでいたかのように、貪欲に。
フーデッドは興味はそそられたが、その興味は頭を冷ますたぐいのものだ。
「ん……っ」
指を二本に増やしたところ、シルクが背をよじらせた。感じている。
だが、俺は……。
女の穴に、萎えないで、挿入できるだろうか?
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